コラム

デジタル安心社会と社員管理のあり方

1.はじめに ~監視と安心の間で

コロナ禍が世界に突きつけた問題の一つに監視社会の是非があります。中国はきわめて強権的な監視を行い、一定の規模にコロナ影響を抑えながら経済の再開に繋げました。共産党による独裁的な指揮権の発動に加え、スマホ社会を前提としたデジタル監視も効果を発揮しており、「コロナとの戦い」においてこうしたデジタル監視は一定の魅力を持っています。

デジタル社会になるにつれ、デジタル化による管理の効率化とプライバシーとの衝突は以前から問題になってきました。その意味で古くて新しい問題ではありますが、民主主義社会においては個人情報の保護の考えが強く、プライバシーの侵害になりそうな使い方については抑制的であるべきという前提があったように思います。しかしコロナ禍においては「感染症対策」という掛け声のもとに「個人情報の取得を行い、社会的に管理すべきだ」という論調が目に見えて高まっています。

企業においても、今のデジタル技術を使ってテレワークはできる一方、どのように社員を管理監督したらよいのか、という悩みは尽きません。健康状態はどう把握するのか、出退勤の労務管理はどうすればよいか、家族の健康状態はどうなのか。こちらでもまた社員の個人情報に立ち入って関与したいという欲求が高まっています。今までは会社に来て物理的に顔を合わせていれば生じなかった問題が、急速なデジタル化によって顕在化してきているといえるでしょう。

今回はこうしたテレワークなどデジタル化に伴う社員管理について、いかに安心感を持ってもらいながら業務遂行をしてもらうか、そこに焦点を当てたいと思います。

2.デジタル社会の魅力と問題点

インターネットが発達し、多くの人がスマホを持つようになったおかげで大量の個人情報を利用して行政やビジネスを行うことができるようになっています。ここでは始めに社員管理よりも広い観点から、いくつか現状における事例を確認しておきましょう。

(1)一般的な企業の個人データ問題 ~GAFAの独占など


個人情報とデータ収集に関し、もともとよくある問題と言えば、GAFAに代表される大手IT企業のデータ独占の問題でしょう。デジタル化の効果の一つは集めた情報によって行う「パーソナライズ(個別化)」ですが、わたしたちは自分の行動履歴などの個人データを企業に渡すことで、自分に合ったネット広告やリコメンデーション(商品の推薦)を受けています。これによって自分専用にサービスがカスタマイズされ、快適なサイバー環境が生み出されているのです。例えばアマゾンのリコメンデーション機能やグーグルの広告表示はいうに及ばず、アリババのゴマ信用(芝麻信用)というサービスは集めた個人情報をベースに個人の信用度をポイント化しています。アリババは中国を代表するEC企業であり、アリペイという決済サービスも提供していますが、そういった情報をベースに、「学歴」「勤務先」「資産」「返済」「人脈」「行動」の観点から個人の信用格付けを行っているのです。こうした個人の信用情報はリアルの場でも様々なメリット・デメリットに影響し、もはや影響はサイバー空間だけに留まるものではありません。

一方、サイバー空間ではおのずとサービスは寡占化されがちです。検索エンジンでグーグルが圧倒的シェアを誇ると、事実上わたしたちは他のサービスを使う選択肢がありません。フェイスブックやツイッターも同様で、その状態は昨今のGAFAに対する「新しい独占」の問題となっています。データによって自分に最適化されていると思っているわたしたちですが、その実際は企業のアルゴリズムに従った選択肢しか示されていないのかもしれず、むしろ世界が狭くなっている可能性もあります。また、米国大統領選末期にトランプ氏が各SNSから排除されたことに象徴されるように、今の時代においてSNS企業の権力は絶大です。実質上の「検閲」のようなことをSNS事業者が行うとなれば、これは個人の自由という観点からは大きな論争を生むでしょう。最近の欧州におけるGDPR(一般データ保護規則)や米国司法省がグーグルやフェイスブックを訴追したというニュースも記憶に新しいところです。

(2)国家によるデジタル管理 ~コロナ禍の中国や台湾

もう少し実際の管理に近い事例はやはりコロナ禍におけるデジタル監視でしょう。最もハードな取り組みをしているのは主に東アジアの国々です。中国や韓国、台湾においてはITにより行動や健康状態を把握・監視し、感染者を隔離する措置を取りました。こうした強力な措置は、感染者数の増加を抑え込むのに効果的であることは事実なようで、台湾モデルなども世界から称賛を浴びています。今の日本の課題が感染拡大の防止・医療体制の維持と経済活動の維持にあるとすれば、強力な措置によって感染を一気に食い止め、実際に経済活動の再開を実現しているこうしたモデルは魅力的に映るでしょう。また、多くの監視カメラを設置し、AI(人工知能)による画像認識を行うことで犯罪の検挙率も大幅に上がっています。一定の安心社会の構築につながっているのが事実なのです。

一方、『サピエンス全史』の著者としても有名なイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ハラリ氏は今回の感染拡大によって民主主義の中で監視社会が進む可能性を指摘しています。「今回、実行した多くの短期的な緊急措置は、嵐が去った後も消えることはないだろう。緊急事態とはそういうものだ。緊急時には歴史的な決断でもあっという間に決まる。平時には何年もかけて検討するような決断がほんの数時間で下される」(日本経済新聞:2020年3月31日)とあるように、国家による監視のレベルが上がっても、それが今後下がるとは限りません。むしろそれを前提として新しい制度が構築されるかもしれず、そこは市民が注意深くチェックしていく必要があるでしょう。

3.企業のデジタルによる社員管理のあり方

そのような中、企業と社員の関係に目を向けてみましょう。テレワークが広がる中で、プライベートと業務の境目も曖昧になってきています。また、企業側としては社員の労務管理のためにも家族含めた健康状態の把握が必要になってきていると感じているのではないでしょうか。GPSにおける行動管理やテレワークにおける常時接続、あるいは社内メールの閲覧や家族の健康状態の提出など、どこまでが合理的な情報収集といえるのでしょうか。また、集められた情報がその目的のため「だけ」に使われる保証はどこまであるのでしょうか。もっといえば、その「常に監視されている」という感覚そのものが社員を萎縮させる効果を生むのではないでしょうか。社員の管理という企業責任を果たすことと社員の自由を守ることはなかなかバランスが難しい問題です。

そんな中、経済産業省と総務省は2020年8月、「DX時代における企業のプライバシーガバナンスガイドブックver1.0」を公表しました。そこではプライバシー問題に企業が前向きに対処することが社会の安心感・信頼感につながり、ひいてはイノベーションも加速されるという立場を取っています。


こうした取り組みにおいて最も大切なことは企業としてのポリシー(信条、立場)を明確にすることです。正解がある世界ではなく、企業と社員の間の了解をいかにとるか、何らかの問題が起こったときに対話を通じて互いの利益を真摯に考えながら、都度都度の落としどころを探っていくことが必要です。企業においては業績達成のための社員の管理も必要ですし、社員のプライバシーへの配慮も必要です。感染症対策を主体的にとるという企業市民的な態度も重要ですし、一方でそんな中生き残っていくための積極的な対案提示も重要なのです。社会は複雑であり、簡単に何かの価値観で押し切れるようなものではありません。想像力を豊かにして、相手のことや関係者のことを考えながら、お互いが自制的によりよい社会へと進んでいかなければなりません。そのために、まずは企業としての個人情報やプライバシーに関するポリシーを明らかにすることです。そして、その運用方法や結果について定期的に社員に公開していくことで対話を図っていくべきなのでしょう。実際、上述のプライバシーガバナンスガイドブックにおいても「経営者が取り組むべき三要件」の一番目に「プライバシーガバナンスに係る姿勢の明文化」というものが挙げられています。

危険なことは部署ごとに運用が分かれてしまい、上司が無自覚に恣意的な運用をしてしまうことです。情報は使う人間のあり方によって大変危険なものになりかねません。だからこそ全社統一の基準を儲け、コンプライアンスの一環として主体的に運用していく必要があるのです。

コロナ禍において、今までうやむやにしていた社員管理の問題にも真正面から向き合う必要が出てきました。しかしこれはデジタル社会が進展していく中で企業が乗り越えなければいけない禊(みそぎ)のようなものです。無自覚にいては、自分たちの競争力をなくしてしまうか、計り知れないリスクを内包することになるでしょう。

4.おわりに ~新しい会社の形とは何か

デジタル化によって多くのものが「見える化」される中、個人と社会、個人と企業との関係性が変わってきています。これは今に始まったわけではありませんが、確実にコロナ禍によってスピードが早まり、またコロナ禍を理由として個人の自由を小さくする方向に動いています。しかし総じて全てを監視してコントロールするというのは限界があるものです。

今回のコロナ禍は、新しい管理の形、新しい社員との関係性を築いていくきっかけを与えています。単なる「業務のテレワーク化」ではなく、社員がより安心して、より創造的に働けるような環境づくりというものを是非各社が主体的に考えて取り組んでいってほしいと思います。