コラム

コロナがあぶり出した課題と学び ~「自粛」だけでは対応できない!

1.はじめに

足元、世界中でコロナウイルスが再度広がりを見せています。特に欧州での広がりが顕著で、陽性者数は1日当たり25万人~30万人、死者数も1日当たり5千人を数えています。日本でも再拡大していますが、全国の陽性者数が2,000人程度/日であることを考えれば欧州での規模の大きさが伺い知れるでしょう。年末にかけて第2波、第3波が来るということは当初から想定されていましたが、やはり感染症を押さえこむことの難しさを感じます。

今回のコロナウイルスは、感染症との向き合い方はもちろん、単なる感染症対策以外にも色々な問題を提示してきました。そこから何を学び、どのように改善させていくか、企業人としても社会人としても大切な視点となるはずです。今回は、改めてコロナ禍を振り返りながら、今の不確実性の高い時代に求められるリーダーシップや変化対応の力について考えていきましょう。

2.感染症対策を振り返って

今回のコロナについてBCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)を作っていた会社は一定数ありました。社会的にも過去のジカ熱や新型インフルエンザなど、一定の感染症対策の知見があったといってよいでしょう。

ただ、重要な点は「すべてのケースは違う」ということです。今回の最も大きな想定外は、「潜伏期間中も感染させる可能性がある」という点だったわけですが、もともと想定されているケースがそのまま実現することはあまりありません。いかに現実に合わせて対応していけるのか、シミュレーションとの差分の検証、そして変化対応の仕組みをプロセスの中に入れ込んでおくことが重要になります。すべてを「想定の範囲内」に収めようとする努力も大切ですが、想定外の事態にも柔軟に対応する心構えと準備をあらかじめしておくこと、冷静に情報収集し、自分たちで判断・検証するプロセスを持っておくことが大切だと言えるでしょう。

フェーズが変わることによる対応の変化も重要です。今回のコロナでいえば、2020年2月、ダイヤモンドプリンセス号においてコロナウイルス感染が発覚したという段階と、その後市中感染が広がって感染経路が追えなくなってきた段階では対応が変わってきます。水際対策を進めていくのか、市中感染拡大を止めるのかというのは社会的な影響範囲が全く異なってくるわけで、市中感染対策については例えば経済との両立であったり子どもの教育環境の問題など、様々な考慮が必要になります。

今回、幸いなことに日本は他の地域と比べ、たまたま影響が比較的軽微で済んでいます。ただ、次の感染症が再び日本に優しいものである保証はなく、改めて日本の感染症対策の振り返りを行っておく必要があるでしょう。どのような情報を取りに行くのか、どのタイミングで何を判断するのか、企業としても大きな課題となるはずです。

3.コロナがあぶりだした様々な問題とは

さて、今回のコロナウイルスは単に感染症として猛威を振るっているだけでなく、社会の構造や世界経済のあり方にまで大きな課題を投げかけています。パンデミックにまでなぜ発展したのか、あるいは各国でなぜコロナの広まりを止められなかったのか、などについて、単純に「(欧米は)マスクが嫌いな文化だから」といった生活様式の差だけに還元することはできません。いくつかマクロの観点から論点を挙げてみましょう。

(1)グローバル化の進展/熱帯・亜熱帯の開発が持つリスク

世界のグローバル化が進み、各国の主要都市の接続性が高くなったということがパンデミックの大きな原因であることは否定できません。2015年にビルゲイツが「今後数十年で一千万人以上が亡くなる事態があるとすれば、戦争より感染性のウイルスが原因だろう。ミサイルより病原菌に備えるべきだ」といっているように、当時から国際的リスクとしてパンデミックは意識されてきました。接続性の高いグローバルな都市に人口が集中すること、これは経済の発達を促しますが、同時に感染症に対する脆弱性を持っていることは理解しなくてはいけません。

また、今回のコロナウイルスの発生源と言われている中国の武漢は亜熱帯地域です。今後も東南アジアやインド、アフリカが開発されていくことを考えると、生物多様性の度合いが高い熱帯や亜熱帯から今後新たな感染症が発生するのは想定されるリスクです。新興国の発展は素晴らしいことですが、同時に感染症に強い新しい都市開発という課題に向き合っていく必要があるでしょう。

(2)財政規律と保険制度

日本は今のところ国民皆保険で、それが良かったとも言われています。米国では相対的に貧しい層は医療保険に入ることができず、それが今回の感染拡大、あるいは致死率の増大の一因となりました。

一方、医療崩壊を起こしてロックダウンに至ったイタリアですが、こちらでは米国とは逆に、充実した医療制度(国民保健サービス)を持っており、2000年の頃は世界第2位の水準にあると世界保健機関(WHO)から認められていました。ではなぜ、今回のコロナで医療崩壊の状態に陥ってしまったのでしょうか。これは、過度な医療制度が国の財政を圧迫し、逆に医療体制の継続を困難にしてしまったことが原因でした。イタリア国債はリーマンショック時にデフォルト(債務不履行)の危機に陥り、EUが国債を買い取って救済しましたが、それと引き換えに社会保障費をはじめとした公的支出の徹底的な削減を義務付けられました。その結果、イタリアの1人当たり医療費は4分の3に減らされ、758の病院が閉鎖となり、今では慢性的に病院は混雑し、検査や治療を受けようと思っても何日も待たされることが珍しくありません。このような状況にコロナが直撃したのでした。

コロナのような緊急事態にどのような財政的なオプションを取れるかというのは日常的な財政規律の問題になってきます。足元では日本を始め世界の財政負担は軒並み上がっていますが、同様の財政負担を「次の危機」の際に取れるかどうかは分かりません。日本の財政問題は以前から指摘されているテーマですが、今一度真摯に見つめ直す必要があるでしょう。

(3)格差の問題 ~移民労働者、そして若者

コロナ禍の米国において、「黒人(アフリカ系)住民の方が死亡率が高い」ということも大きな問題となりました。「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター、BLM)」運動ともオーバーラップし、米国社会の隠されたひずみをあぶりだしたといえます。これは欧州でも同様で、相対的な貧困にあえぐ移民労働者は医療保険への加入や疾病対策、あるいは衛生教育がうまくできず、集団感染を引き起こしやすいということです。

これは一つの経済格差問題といえるものですが、移民労働者に限りません。現在の米国では若者の間で二極化が進んでおり、ベンチャー企業で成功したり大企業に就職したりと、いわゆる成功した若者もいれば、大学を出ても仕事がなく、非正規雇用で家賃も払えないままホームレスになってしまう若者もいるなど、巨大な格差社会となってしまっています。この経済的に困窮した若者たちはコロナにおいてどのようなことを思うでしょうか。「自分の将来が描けない」「社会なんてどうなっても構わない」といった投げやりな態度になってしまうのではないでしょうか。そういう彼ら彼女らに感染抑止のための節度ある行動を求めても、なかなか言うことを聞けないでしょう。欧州でも若者のワーキングプアが増加しており、似たような構図が存在します。刹那的にしか生きられない社会がもつ脆弱性もまた今回のコロナで明らかになり、翻って日本の状況はどうかということを考えていく必要があるのです。

4.コロナから何を学び、どのような対策をとっていくのか

このように考えていくと、今回のコロナ禍は社会的な背景を含め、複雑な問題を提起しています。感染症そのものの想定外の動きに対処しながら、コロナによってあぶりだされた多面的な課題についてもスピード感をもって取り組んでいく必要があります。今回、もし日本が「自粛対応」や「きれい好きな国民性」でうまくいったとしても、それで今後の問題すべてが解決するわけではないのです。

コロナから何を学び、日本として、企業として、どのような対策をとっていくのか。

そこでは従来の序列型、マニュアル型のマネジメントではない、より柔軟かつ問題の本質を押さえたマネジメントが求められていきます。

情報をオープンにして透明性を高めること。その中でしっかり明確な方向性を打ち出していく判断力と信念を持つこと。状況変化の中で柔軟に対応していける応用力を持つこと。自分の意思決定が多くの関係者に影響を与えることを理解し、感謝できること。

これは改めて考えると感染症という有事のリーダーシップというだけではなく、今のビジネス全般に求められる普遍的なリーダーシップかもしれません。コロナという逆風があるからこそ強くなれるという気概を持って、学びのサイクルを速く回して自社をバージョンアップさせていきましょう。