コラム

ビジネスにおける3つの「責任」
~曖昧な自己責任論を超えて

1.はじめに

例えば皆さんが現場の担当者としてあるプロジェクトを任されたとします。
責任者として上司はいるものの、「この仕事は君に任せたから」と言われたらどう感じるでしょうか。

「この仕事は一人でやり切らないといけないのかな」

と感じ、少し負担を感じるかもしれません(もちろんやりがいを感じる人もいるでしょう)。しかし、責任の所在は上司にもあるはずで、なんとなくこの責任の曖昧さというのが日本社会にはあるようです。

さて、仕事に責任は付きものですが、「責任」の考え方は海外と日本ではかなり違うようです。今の時代、グローバルに羽ばたこうとする企業も多いですから、改めてこの「責任」について考えてみたいと思います。

2.3つの「責任」 ~Responsibility・Accountability・Liability

日本語では「責任」と一言で表現しますが、英語の言い方を参考にしながら少し整理してみましょう。英語には3つほど言い方があり、それが「Responsibility」、「Accountability」、そして「Liability」です。

そもそも責任というものは、仕事のプロセスとして(1)問題に対して真摯に向き合って出来る限りの努力を行うこと、また失敗したとしても何度もやり直して成功に導こうとすること、があるでしょう。次に、(2)結果的に失敗した場合、その結果を招いたことに関して処分・批判を甘受するということ(場合によっては地位を失うということもあります)。そして最後に、(3)必要に応じて損害賠償などの法的責任を果たすこと、この3つが責任を果たすことのプロセス論です。英語の3つの用語はこの違いに対応しています。

以下、個別にニュアンスを見てみましょう。

■Responsibility(遂行責任)

一番ビジネスでよく使われる言葉で、「この仕事の担当は私です」というもの。何かのプロジェクトが始まった際は、まず全てのタスクに人を割り振って、誰がresponsibleなのか(責任を持つのか)を決めます。この遂行責任は「分かち合える」ということが特徴で、タスクがその人の手に負えなかったり、目標が高すぎたりする場合、上司や同僚がその責任をシェア・共有しながら進めていくことになります。

また、この言葉は将来に向かって責任を果たす努力をするという意味ですので、例えば「企業の社会的責任」というのは「CSR(Corporate Social Responsibility)」とResponsibilityを使います。努力の果たし方には自由度があるわけで、そこは各社に任せられています。

■Accountability(説明責任)

こちらは日本でよく聞く説明責任といわれるもので、最終的に誰が責任を負うのか、というニュアンスのものです。Responsibilityは将来のタスクに向けた責任でしたが、こちらは過去の行為や結果に対する責任であって結果責任、誰かとシェアすることはありません。よく日本で「社長は責任をとれ!」というような場合はこのAccountabilityを意味しており、失敗の責任をとって地位を失うこともあるということになります。

Responsibilityが担当者レベルの責任の果たし方であるのに対し、Accountabilityは監督者・上司の責任の果たし方ということもできます。実際、AppleやFacebookでは公聴会で聴取を受ける際、CEO自らが説明に出ることも珍しくありません。自らのAcountabilityを果たしているということでしょう。

■Liability(賠償責任)

これが一番わかりやすいのはいわゆる「PL法(製造物責任法)」でしょう。Product Liabilityということで、製造物の欠陥によって被害が生じた場合の損害賠償責任を指しています。これは法的責任を指す言葉で、主に金銭的な支払義務を意味します。

なお、Product Responsibility(製造責任)という言い方もあり、こちらは製造におけるサステナビリティへの対応であったり、製品を作ってから廃棄されるまでのライフサイクル全てに責任を負うといった広い意味での「責任」を指しています。

このように見ていくと、3つの責任の違いが分かりやすくなったのではないでしょうか。

3.日本における責任の所在 ~傘(からかさ)連判状の世界?

さて、冒頭の日本の「責任」についての話しに戻りましょう。


日本で「責任者」というと、最高経営責任者(CEO)や最高執行責任者(COO)、あるいは部長や店長など、かしこまった偉い人という印象がある一方、もともとメンバーシップ型と言われる日本の雇用形態では、担当者にかなり意思決定の裁量が移譲されていることも珍しくありません。

本来であれば課長が決めるようなことではないことも(実質上)課長が決定していることも珍しくなく、それだからこそやりがいを感じるという人も多いわけですが、例えば外資系の企業であれば戦略を決めるのは部長、課長以下はその戦略を実行することが仕事であって、戦略策定に関わるものではない、というのが普通の理解です。もし正しく実行して失敗すれば部長の責任であり、課長に戦略策定の責任を負わせるのはお門違いということになります。

上記の点が日本の強みでもあるのですが、全体として誰が責任を持って物事を進めているのかが曖昧になるケースが多くなりがちというのも事実でしょう。外から見ていると、誰が責任を負って意思決定しているかが良く分からないまま物事が進んでいき、上手くいけばよいものの、失敗した場合はよく原因究明が行われないままうやむやになってしまうということになりがちです。

昔、江戸時代まで農民が一揆をおこすとき、誰が首謀者か分からなくなるように、参加者が円環状に名前を書いていった「傘(からかさ)連判状」というものがありましたが、まさに誰が責任者か分からない中で中心が空のまま、物事が進んでしまうということがあり、それは恐ろしいことといえるかもしれません。いわゆる「空気の支配」というのもそれに近いものがあります。

担当者レベルで責任を明確化し、困ったときは助け合う、最終的な意思決定は誰が行うかも明確に意識する、というのは万国共通のことです。曖昧に済ませるのは楽ですが、責任が不明確というのはやりがいや充実感も疎外してしまいます。世代交代が進み、またグローバルでのビジネスが増える中、改めて仕事の「責任」を考えて取り組むことも大切かもしれません。

4.おわりに

今回は「責任」という言葉の意味について考えてきました。最近は「ジョブ型」への移行というテーマも盛んですので、その理解を深めるためにも重要なテーマだろうと思います。

Responsibility(遂行責任)は前向きなもので、信頼があるからこそ与えられるものです。そしていざという時にはその責任をチーム全体で分かち合い、全体として目標達成していくこと。単純な自己責任論や、空気の支配で無責任の集まりになることなく、主体性とやりがいをもって仕事を進めていきたいものです。