コラム

自分のせい?環境のせい? ~指導における自己評価と統制の所在

1.はじめに

皆さんは何か良いことや悪いことが起こった場合、その原因をどのように考える傾向にありますか?自分が頑張った、もしくは、しくじったせいでしょうか。それともあの環境のおかげ、あるいは、あの環境のせいでしょうか。

自分の身に起こった出来事の原因を自分のせいだと考えるか、外的要因だと考えるかには人それぞれの傾向があります。これはある種の「信念」であり、「ものの見方」です。

さて、この「自分のせい?環境のせい?」問題のことを教育心理学では「統制の所在」(Locus of Control:LOC)と呼びます。日本においては何でも「自分事で考えよ」「原因は自分にあると考えて主体的に行動せよ」と言われがちなようにも思いますが、今回はこの「統制の所在」を中心にして原因自分論について考えていきましょう。

2.「統制の所在」(Locus of Control)と原因自分論

統制の所在、ローカス・オブ・コントロール(Locus of Control:LOC)とは、「行動や評価の原因をどこに求めるか」という認知の傾向のことを言います。1950年代に心理学者のジュリアン・ロッターが提唱したもので、出自は古いものといえるでしょう。

統制の所在は大きく分けて2つあり、自分の状況を自分の責任によってコントロールしているという認知を「内的統制」といい、自分の状況が自分以外のものによってコントロールされているという認知を「外的統制」と表現します。

●仕事が上手くいったぞ
→【内的】それは自分が日々努力しているからだ
→【外的】今回はたまたま優しいお客様に当たったからだ

あるいは、

●仕事が上手くいかなかった
→【内的】それは自分の努力が足りなかったからだ
→【外的】今回はたまたま厳しいお客様に当たったからだ

というイメージだと分かりやすいでしょうか。

さて、皆さんはどちらが好ましいと感じますか?

この「統制の所在」はいわゆる原因自分論とも関係します。本来的にはそういった「どっちがよい」というバイアスがあるわけではなく、心理的な傾向のことを指すわけですが、何となく、全ての原因が自分にあると考えた方が、コントロールできるものに目が向いていき、主体的な行動につながっていく、という考え方が一般化しています。特に有名な経営者においても「原因自分論」を唱える方が多く、基本的に内的統制の傾向が強い人が好ましいと思われるのではないでしょうか。

もちろん、これは程度問題でもあり、例えば

●遠足なのに雨が降ってきた
→【内的】これは私の日々の行動が悪いからだ
→【外的】今回は天気のせいだから仕方がない

というような事例を見れば、100%内的統制で考えることの難しさも分かります。何でも自分のせいにするということは、ともすれば過度に自分を責めてしまったり、失敗したことは自分のせいだと強く思いすぎて次の挑戦に後ろ向きになったりと、必ずしも良いことばかりではありません。「良くも悪くも」物事の原因を自分のせいと考える、ということだと考えた方が良いでしょう。

3.「統制の所在」は自己評価の一側面にすぎない

実はこの「統制の所在」は、私たちが自分自身の存在価値や能力をどのように評価しているかという基本的な自己評価の一側面と言われています。

私たちが自分に対して持っている基本的な自己評価のことを「中核的自己評価」といいますが、これには以下の4つの次元があります。

1.自尊心(self-esteem):自尊心、自分は存在してよいという感覚
2.自己効力感(self-efficacy):自己効力感、自分は能力があり、できるという感覚
3.不安耐性(neuroticism):不安やストレスへの耐性、挑戦できる感覚
4.統制の所在(locus of control):物事の結果に対する態度、自分がコントロールできるという感覚


大切なことは、この統制の所在というものは自己評価に関する4つの次元の1つに過ぎないのであって、残りの3つを加味しなければうまく機能しないということです。多くの有名経営者が「原因自分論」を唱えることは、要するに彼らが自尊心も自己効力感も高く、不安耐性があるから何事にもポジティブに挑戦していけるということの表れなのです。もし自尊心も自己効力感も低く、不安耐性がない人が内的な統制の所在を持っているとすれば、何事も自分のせいにして閉じこもってしまい、挑戦しなくなってしまうでしょう。そのような人に「全てのことは自分がコントロールできるのだから、挑戦すべきだ」と言ったところで、それはある意味でのパワハラというものです。

何事も自分事化せよ、というのは簡単ですが、相手の自己評価の傾向について総合的に考えてアプローチしなければいけません。

4.日本人の傾向はどうか? ~自分自身を見直す

この統制の所在について、日本人の傾向はどのようなものでしょうか。

やや古いものですが、1987年の論文において日本の興味深い傾向が示されています。通常、年齢を追うに従ってどの国の子どもも出来ることが増えていき、内的な統制傾向が増大していくことが観察されます。一方、日本では中学、高校、大学と進むにつれて「統制の所在」のスコアが下がり、逆に外的統制の傾向が強まるという結果になっています。
(鎌原雅彦、樋口一辰「Locus of Controlの年齢的変化に関する研究」1987年より)

また、同じ研究において学校生活の様子と「統制の所在」との関係性を探った調査内容の一部を紹介しますと

●「なにもする気がおきないことがある」に「はい」と答えた人の割合
→中学1年生で59%
→高校3年生で84%

●「わけもなく不安になることがある」に「はい」と答えた人の割合
→中学1年生で36%
→高校3年生で62%

●「いつも疲れた感じがする」に「はい」と答えた人の割合
→中学1年生24%
→高校3年生で46%

など、無力感や不安感が増大している傾向が分かります。

他国の研究は小学生を対象としたものが多いので一概に比較できるわけではありませんが、一般的な傾向と比べて日本が「逆の傾向」になった、年齢を追うに従って「統制の所在」が外的なものになっていき、同時に無力感などが増大しているというのは、深掘りすべき内容だろうと思います。

なお、米国の比較的新しい研究(2004年)では、1960年の大学生と2002年の大学生で、2002年の大学生の方が外的統制の傾向が強まっていることも示されています。日本独特の現象に加え、時系列で見たときに統制の所在がより外的なものに変化している可能性にも着目したいところです。
※米国の研究については、Jean M. Twenge、Liqing Zhang、Charles Im ”It’s Beyond My Control: A Cross-Temporal Meta-Analysis of IncreasingExternality in Locus of Control, 1960–2002”〈2004〉より

さらに日本の傾向に関し、もう一つ興味深い事例を挙げましょう。

「コロナ感染は自業自得かどうか」について2020年3~4月に各国で調査をした結果、「自業自得だ」、「自分が悪い」と思う人の割合が日本で圧倒的に多かったということです。

1.日本:11.5%
2.中国:4.83%
3.イタリア:2.51%
4.英国:1.49%
5.米国:1%

実に米国や英国の10倍程度と突出しています。反対に「自分のせいだとは全く思わない」と答えた人は、他の4か国は60~70%台だったのに対し、日本は29.25%だったそうです(三浦麻子・大阪大教授らの研究グループの調査)。年齢を追うにつれて外的統制に変化するはずの日本人が、他人に対しては妙に厳しいということは、先ほどの自己評価全体を踏まえて考えてみると、なかなか難しい問題ではないでしょうか。

5.おわりに ~単なる「原因自分論」を超えて

今回は「統制の所在」という考え方をきっかけとして、物事の結果をどうとらえるのかという傾向について考えてきました。日本においては「何事も自分事化せよ」や「原因自分論」というものが一般的に言われる気がしますが、それはそうとしても、自己評価そのものが高いか低いかについて見てあげなければ、単純に「何でも自己責任だ」というのが逆に挑戦心を削いでしまうことにもなりかねません。また同時に、屈折した自己責任論が、自分ではなく他人に向いたとき、その社会は相互監視のとても住みにくい世界になるのではないでしょうか。

いずれにせよ、私たちは部下や後輩と接するとき、その人の「統制の所在」はどこにあるかを考えてみるとよいでしょう。そのうえで、その人の自己評価全体を考え、その他の要素、例えば自尊心や自己効力感、あるいは不安耐性も踏まえて見ていければ、「原因自分論」もより効果を発揮するかもしれません。

私たちの関心は結局のところ、物事の原因がどこにあるのかを突き止めたいのではなく、いかにその人が物事を達成していけるのか、それだけなのですから。