コラム

今求められている人材とは? ~一国に何人のイーロン・マスクを生み出せるのか

1.はじめに

国家百年の計は教育にあり、という言葉があります。 もともとは中国の古典である「菅子」から来ているといわれます(「一年の計は穀を樹(う)うるに如(し)くはなし、十年の計は木を樹うるに如くはなし、百年の計は人を樹うるに如くはなし」)。企業においても長期的成長に向けて人材育成というものは非常に大切であり、そこには誰も異論をはさまないと思います。 ではどんな人材、人物を育てようとしていますか、と聞かれたら皆さんは何と答えるでしょうか。あるいは、今の日本や日本企業はどんな人材を必要としているのか、と聞かれたら? 明確な目標なくしてそこに到達することはできません。 今回は、日本で今求められている人材について考えていくことにしましょう。

2.日本の教育と世界の現在のズレ ~工業社会モデルはもう終わっている

日本の教育制度は基本的に戦後、それほど変わっていません。多少ICTを導入しようといった動きはありますが、それは手段であって教える内容の本質とは関係ないものです。日本では、基本的に時間通りに出席し、先生のいうことはきちんと聞いて、正解のある問題をしっかり解けるようにすること、集団生活をきちんと送ることができ、平均点を上げていくことが望まれます。これは工業化社会における工場労働者生産モデルであって、工場のラインを動かすためにきっちり時間通りに出勤し、上司の指示命令はきちんと聞いて、マニュアルに沿って一糸乱れぬ行動をとることができる、とほぼイコールだと思えばよいでしょう。カイゼン活動は得意かもしれませんが、新しいことを生み出すことは苦手ですし、そんなことを工場でされてもあまり歓迎されません。 こういったモデルは戦後の高度経済成長期において大量生産型社会を運営していくにあたっては非常に成功しました。日本の「組織力」と言われるものや日本型雇用慣行と言われるものが成功した時代があったということですし、それによって日本は世界第2位の経済大国に昇りつめました。 一方、2000年以降に成功している企業の例を考えてみると、アマゾンやグーグル、アップル、フェイスブックといったGAFAと呼ばれる企業、あるいは中国企業でもアリババやテンセントなどが有名です。テスラモーターズやスペースXなどを挙げても良いでしょう。こういった企業の特徴は、一言でいえば創業者個人に依存して成長しているということです。アマゾンは(最近退任した)ジェフ・ベゾス、グーグルはセルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、フェイスブックはマーク・ザッカーバーグです。アリババはジャック・マー、テンセントはポニー・マー、テスラとスペースXはイーロン・マスクでしょう。全てこれらのサービスはこの特定された個人の頭の中で生まれ、これらの個人が大きくしてきたといって間違いはありません。組織として伸ばしてきた面よりも個人の影響の方が大きいのです。 ここでテスラモーターズとトヨタを比較してみましょう。本稿執筆時点(2021年6月13日)でトヨタの時価総額32兆円に対して、テスラは倍の約64兆円(5,875億ドル)、市場における価値の認識としてはテスラモーターズの方が高く、そのテスラはほとんどイーロン・マスク一人に依存しているという事実を私たちは受け止めなければいけません。 こうした尖った商品・サービスは基本的に個人から生まれます。グーグル検索もフェイスブックも誰の頭の中で構想されたのかを特定することができます。それはディズニーランドにせよウォークマンにせよ同じであって、それに組織で対抗していくというのはなかなか難しい問題です。構想というものは個人の中で自己完結しているのであって、iPhoneはスティーブ・ジョブズのイメージの具現化なのです(スティーブ・ジョブズがiPhoneの形について「ねえ、どうしたらいいかな」などということはないでしょう)。   そういう尖った人材、いうなればイーロン・マスクを一つの国に何人生み出せるのかが今現在の国家間の人材競争になっています。世界を変えることができるような人材をいかに自国に引き寄せ、育成していくか(イーロン・マスク自身は米国ではなく南アフリカ出身です)、事業をしたくなるような環境を作り出すことができるかというのが今の時代の競争なのです。

3.「尖った人間」の取り扱いの難しさ

こういう話をすると、いくつかの典型的な反応があります。 (1)尖った人間だけでは会社は動かせない、という否定的意見 これは最もよくある反論ですが、端的に的外れです。そもそも尖った人間は常に希少人材なのであって、「尖った人間だけ」の会社など存在しません。その貴重な尖った人間を埋もれさせずに育て、伸ばしていかなければいけないという話ですし、そもそも尖った人間はいるのかという問題でもあるのです。 また、この意見の派生として「日本はそういう個人のイノベーションに組織で対抗していく(いきたい)」というものがありますが、すでに書いた通り、なかなか成功事例がありません。組織は事業拡大の局面では重要になりますが、イノベーションを起こすという意味ではあまり有効ではないのです。 (2)そうだ、ネクスト・ジョブズを生み出そう、という安易な肯定的意見 一方、安易にそういった天才の出現を望むスタンスも考えものです。 ジョブズに憧れる人は多いと思いますが、ジョブズを上司にしたいと思う人が何人いるでしょうか。ジョブズにせよイーロン・マスクにせよ、その才能とともにその(一般人には理解しがたい)奇行でも有名です。自分の能力を100%事業に注ぎ込む反面、コミュニケーションその他の「無駄なもの」には一切興味を見出さない傾向にあったり、アウトプットに病的なまでのこだわりを持つことで他人とうまくいかなかったりと、非常に難しい面があります。 基本的にそういった「天才たち」は社会に受け入れられないながら、そんなことには気に求めずに我が道を行くのであって、周りの評価など気にもしません。最初から全員に受け入れられる天才などいないですし、そうした天才が世に出て評価されるまでには、それを受け入れ支えていく周りの人間の途方もない理解と努力があることは理解せねばなりません(もちろんそれを補って余りある魅力があるということです)。そういった現実的な部分も受け入れたうえで、やはり「イーロン・マスクを一つの国に何人生み出せるのかが今現在の国家間の人材競争」なのです。

4.個人が「尖っていい」社会へ

アマゾンやグーグルは最先端のテクノロジーを使って産業を進化させると同時に大きな雇用を生み、経済に貢献しています。事業を実現していく過程においては多くの人間のサポートが必要であって、一人で全てを実現できるわけではありません。 しかし今の時代に不足しているのは、やはりゼロからイチを生み出すことができる圧倒的才能です。国レベルでも、企業レベルでも人材発掘のパラダイムは大きく変化しているのであって、イーロン・マスク一人でトヨタを超える時価総額の会社を作っていることを軽視すべきではありません。 従って、今の社会においては、
  • 世界を変え得るような尖った才能をいかに発掘するか
  • その才能をいかに前向きに受け入れるか
ということが必要になります。 実は日本においても、一部の領域ではこれらは実現しています。スポーツや芸術の世界です。フィギュアスケートの羽生結弦譲選手や紀平梨花選手、野球の大谷翔平選手、ゴルフの松山秀樹選手、あるいは将棋の藤井聡太棋士などもそうですが、世界レベルの才能を発揮して活躍する選手がこの分野にはたくさん存在するのです。クリエイティブの世界やスポーツの世界では、個々人が尖っていかなければ意味がないし、とにかくその分野で圧倒的に強いことが求められるわけで、当然育成の方法も変わります。 そう、同じことをビジネスの世界でも実現する必要があるのです。みんな同じで横並びという世界から、スポーツや芸術のような世界に変わっているということです。単なるオペレーションであれば今後はどんどん自動化が進み、人は削られていくでしょう。全員が何らかの形で尖っていいし、尖ることを求められる前提で人材育成されなければいけない時代なのです。上に書いたように、全員が尖れるわけではありません。しかし、「全員が尖っていくべきだ」という前提の社会であれば、そうなれなかった人も、尖っている人をサポートし、応援する側に回るでしょう。今は周りの同調圧力をモノともしない「生来的な天才」だけがイノベーションを起こしているように見えますが、多くの人が尖っていいのだということに気付けば、彼らの割合も薄まっていくでしょう。 人材育成のあり方も、平均点をあげる従来の日本方式からスポーツや芸術のように、特定分野でよりクリエイティブな一流人材の育成へとシフトする必要があります。彼らが幼少期からオリンピックを目指して切磋琢磨するように、ビジネスの世界でも裾野を広げ、訓練を積み、腕を磨いていくことが大切になるのです。

5.さいごに ~決められたレールから無限の可能性へ

スポーツや芸術の世界というと、実力主義で容赦のない世界と考えるかもしれません。もちろん圧倒的な才能を前にして、その道を諦めざるを得ない人は多く出てくるでしょう。しかし、そうした圧倒的な才能は世界を貧困にするのでしょうか。将棋の藤井聡太棋士を見て、多くの人は勇気をもらい、自分も頑張りたいと思うでしょうし、道半ばでプロ野球の道を諦めた人も、多くは野球を応援し、自分が出来る範囲で子どもに野球を教えているのではないでしょうか。 今、ビジネスの環境は多く、決められたレールに乗って皆が同じ方向に進み、そして結果的に人材がより分けられていく状態です。しかしビジネスの世界は本来、自分たちが新しくルールすら作れる世界で、そこには今見えない可能性がもっとたくさんあるはずです。ジョブズやイーロン・マスクはその一端を見せてくれているにすぎず、ニュートンの言葉を借りれば、「目の前には手も触れられていないビジネスの大海原が横たわっている。だが、私たちはまだ、その浜辺で貝殻を拾い集めているに過ぎない」のです。 そろそろ、自分たちの才能にしたがった無限の可能性へビジネスを展開してよい時代です。全員が尖っていい社会へ、考え方を大きく変えていこうではありませんか。